こんばんは。
突然ですが、皆さんは自分をどういう人間だと解釈しているでしょうか?
誰しもが一度とは限らず何度も考えた事でしょう。
自分を知るという行為は、人狼に限らず、人生においても重要な意味を持ちます。
では、人狼ではどう大事になるか。
簡単な所で言えば、自分が何をどう考え、できるできないを把握する。
例えば、誰かの色について述べたい時、
発言がまとまっていない、伝えたい事が不鮮明な人は、
自分が何を言っているかを理解していない傾向にありますね。
理解していないから、全てを述べようとして結果的にまとまりが無くなる。
自分が理解していない以上、他人に伝わるはずなど無いのです。
上記の事は、違う形で何度か言ってきたので、
本題はここから、
私がツイッターやエピローグ等を見てきて、自己分析について勘違いされていると思ってきたことが一つあります。
それは、自己分析は自分を把握する事であって、自分を定義づける物ではない
具体的に言うなら、できないと認識しても良いが、できないと定めてはいけないのです。
そもそも、自己分析とはどういう目的で行うものでしょうか?
一言で言えば、自分の可能性や選択肢を広げる為です。
得意な事、向いている事を見つけて、それを伸ばす。
苦手な事、不向きな事を理解しつつ、克服又はそれに頼らないように工夫する。
(例えば、泳げないのであれば、泳げるように練習したり、泳がないで移動できる手段を見つけだす)
本質的には、自己分析というのは、次に繋げる為の参考資料を見つける作業なのです。
出来ない事は出来ない。はい終わり。では無いのです。
じゃあ出来ないならどうするの?まで考えるのが自己分析です。
自分の可能性を広げる行為で、自分を狭めてたら話になりません。
そもそも人間はデータでは無いので、物理的な要因以外で物事を決めつけるのは早計です。
特に、自分の苦手意識は大体思い込みだったりします。
不得手な事があっても、それは現段階での情報で、参考程度でしかなく、明確な根拠はありません。やらざる負えない状況が来るかもしれません。(結果的にそれが一番有効手段な時もある)
泳げない自覚が無く、50m泳ごうと考えるのは愚行ですが、
泳げないから何もしないというのは、俗に言うただの思考停止です。
村陣営ならそれで滅びます。
出来ないと考えるのは自由です。苦手な事もあるでしょう。
ですが、出来ないならどうするの? それを直す為にはどうしたらいいと思うか迄を想定するのが
考えるという行為なのではないでしょうか?
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