2018年12月30日日曜日

【人狼観】経験や知識による束縛【Part3】


以前、村においては、議事にある情報以上に優先するべきものはない

と言及しました。
そしてそれが出来ていないプレイヤーは非常に多い。

その原因を少し考えてみました。


目前の議事を元に、経験や知識と照らし合わせていく。
これが正常な判断思考。

経験を元に、目前の議事を捉えていく。
これが間違った判断思考。

一見異常が無いように思えますが、度が過ぎると、正常な判断が出来なくなります。


少し分かりやすくすると、

今(目前)を軸に、過去(経験)を参考材料として思考するか、
過去(経験)を土台に、今(目前)を捉えるか

こういう分け方になります。

後者の何が問題か。
経験により、土台ができていると言えば聞こえが良いですが、
土台が出来上がった後に、大きな変化は生まれない。

これは、土地、組織、人格構成etc…様々な事にも言えますよね。
形を決定付けるから土台なのです。

人狼においては、非常に致命的です。
新しい物を受け入れ辛くなり、勝手に上限を定め、
結論先行の考え方になっていく。

視野が著しく狭まり、思考停止、パターン化を生み出します。
一定の状況にしか対処できない、考えられない。

あらゆる場面に対応できるだけの経験があるならその限りでは無いですが、
そんな人は居ませんし、長期人狼の特性上、パターンは存在しません。

何より、経験というものは一生積み重ねていく物で、完成する事はありません。
変化と進化をし続ける物なので、どうやっても土台という一つの完成品にはなり得ない。

経験を一つの完成品だと思い込み、それを結論とし、主軸に考えると、
本来、成長する為の要因である知識や経験に縛られる事になります。

完成や結論に、それ以上は存在しませんから。

経験や知識を活かすのであれば、
経験と知識は、絶えず変化していくもので、ここまで積めば大丈夫など存在しない
と覚えておきましょう。

上記は、経験や知識に対しての向き合い方。



では、経験や知識が先行すると、どのような問題が発生するのか。
大きなものとしては、類似物を同一だと誤認しがちになります。

当たり前ですが、類似と同一は別物です。
ですが、そう錯覚してしまうケースがよくあります。

例えば、過去に同じような物を見たことがあり、それが90%位一緒だったとして、
それを真新しい視点で考えられますか? 1から精査しようと思いますか?
多くの場合、過去の情報や知識を元に結論付け、残りの10%を誤差程度に捉えるでしょう。
それ以前に、似ているので補正がかかり、10%位なら見落とすかもしれません。

ですが、たかが10%でしょうか?
ニュースで、キノコ狩りに行った人が毒キノコを食してしまうといった内容の報道がたまに流れます。
あれは、大きさや形や色が一緒で、模様だけ若干違うと言った、注意しないと分からないレベルのキノコを収獲してしまったが故に発生する事態です。
食用の物と見た目が似ている=食べられるとは限りませんよね。

そもそもここで言う90%同一というのは、結論の事を差してはいません。
あくまで判断材料が90%同一なだけです。


一つ重要な視点として、判断材料が1%でも違えば、それに伴う結論も違う可能性がある 

例えば、人狼で過去遭遇した灰A(狼)と、ほぼ似たような動きの今村にいる灰B
これが違う人間で、性格や戦術論と言った部分に差異があるのなら、
灰Aが狼でそれと同じような感じだから、灰Bも狼と結論付けるのは早計ではないでしょうか?

大半の一致のみに意識を向け、少しの誤差を突き詰めない。
それこそ最大の情報であるにも関わらず。

「過去こういう狼(村)を見たから、今回もそうだろう」は、今を見ていないし、考えていないのです。

より広義的に考えるのであれば、
全く同じ場面や状況(面子や発言、役職や能力処理、襲撃)が存在する事はまずありえないので、
判断材料が似ているからと言って、結論に結びつけるのは非常に危険な行為ですね。

第一、似ているだけで同じではないので、まず結論に繋げること自体が間違いなのですが。

結論を考える上で、類似した判断材料というのは非常に参考になります。
ですが、参考になるだけです。推理の補助にはなりますが、結論にはなりません。

推理が楽になるケースはありますが、効率的に進められる程度なので
思考停止する理由は何処にもありませんね。


もう一つ重要な視点、経験には結論があり、目前には結論が存在しない
これを挙げます。

人間は楽をしたがり、都合の良い風に考える生き物です。
同じような場面や物や人に遭遇した場合、結論の無い目前より、結論のある過去に引っ張られます。

「これだけ似ているなら同じだな」と。

振り返る前に、判断材料の類似性(同一性)と、過去の結論の存在から、
経験の結論と目前の結論を同一視してしまうのです。
こうなってしまうと、既に結論が出ている物に対して、労力を割こうとは思わないのでそこで終わります。

経験先行とは、結論先行であり、
推理において結論が先行して来る場合は、目前より、経験が優先されている事が多々あります。
結果、推理を外す場合は、文字通り目前の情報を見落としているのですね。


この、経験先行により、過去の類似を同一と錯覚し、現状を見直さず、そのまま結論に結びつける。

分かりやすい言葉があると思いませんか?

そう、先入観です。思い込みですね。


経験に対する間違った認識は、先入観を生み出す。
先入観は思考や視野を固定化させ、推理をしなくなる。

経験は何も、実際に体験した事だけではなく、自己投影も含みます
自分自身という積み重ねは経験の一種です。
要するに、「自分狼ならこれはやり辛いから、この人は村だろう」というのも経験が先行している考え方です。


厄介な事に、先入観というのは無意識的に発生しています。
そこに対して慣れれば慣れる程、罠に陥ります。

その村の議事を読んでから、経験からの過去を振り返っているように見えて、
実は、経験という前提があった上で、議事を読んでいる。
皆さんは、本当に議事を読んでから経験や知識を扱っていますか?
経験や知識を、完成されたものだと思い込み、それありきで考え、土台にしていませんか?

順番が違うだけで全く別の考え方になってしまいます。

毒キノコの例がありましたが、経験や知識が先行するとかえって邪魔な事もよくあります。
これが初めて見るキノコであれば、ちゃんと調べていたでしょうし。
(ただ、このケースはキノコに対しての知識を正しく把握していなかったという別問題もあり、これもまた人狼に関わってくる)



まとめると、
・類似=同一ではない。人狼に過去と同一の判断材料など存在しない。
・同一でない以上、結論が違う可能性があるので、思考停止する理由は無い。
・経験や知識は、どこまでいっても参考にしかならず、推理や結論そのものにはなり得ない。
・今(議事)→過去(経験)であり、今(議事)>過去(経験)である。


まあ、目前の事象を優先するようにしても、
結局経験や知識という材料をきちんと揃えておかなければ推理精度は向上しないのですが、

大半の誤った推理、村人が陥りがちな状態として、
経験や知識に縛られる。それによる先入観。が挙げられるものまた事実です。

気が向いたら続きを書いていきます。

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