2019年4月26日金曜日

議事読みの本質は"読み"に非ず

人狼PLなら誰しもが行う議事読み(ログ読み)
狼の補足、状況の把握、村の相関図、投票経緯等々様々な物が見えてきますね。

そんな中で、議事読みが遅い。と耳にする事は度々ありますが、
何故議事を読むのかが遅いか、または遅くなるのでしょうか?


タイトルでもありますが、読むのが遅い訳ではありません。
結果的に読むのが遅くはなりますが、原因は別にあります。


その原因とは、言語化、つまるところ出力です。
この出力は、発信に対してではなく、発信をする為の出力です。


議事読みの仕組みとして、

読む→思考→形成(言語化)→理解→読む
基本的にはこれの繰り返しです。

言いたい事が纏まらない。となった時は
思考した物を、自身が理解(他者に説明)できる形にできていない。


読んで考えた事を、形にできず、理解できないから次の読むへ進めない。
本質はこうです。

形成と理解が出来ていないのに、読む量だけ増やしても渋滞を起こすだけです。
形成(言語化)に対しての読むが釣り合ってないのですね。

裏を返せば、形成(言語化)速度を上げれば自ずと読む速度も上がります。


※「なんとなくこうなんじゃね?」は言語化が追いついていませんが
振返ってサクッと言語化できる場合は、一応形成を通しての理解にはなります。


言いたい事がまとまらなくて、詰まって発言が後手後手になってしまう。
と困っている相手に対して「意見を小出しにしてみれば?」
よくあるアドバイスです。

これは確かにそうなのですが、
どうすれば。の部分が抜けているので適切なアドバイスでは無いのですよね。
人に言われてそれが出来たら誰も苦労しません。

読む時間を区切って以降のプロセスを軽くしろと言いたいのでしょうが、
受け手としては「全部読んでから小出しにすればよいのか?」と誤認する可能性があります。


この、形成(言語化)からの理解ですが、
普段から意識して行う事はあまりないと思います。

新しく見て聞いて、気が付いた事に対して真剣に考え、
それを他者に説明できる位まで自分自身で理解した上で言葉にする。
加えてそこまで時間をかけない。

まあ、日常生活でそうそうそんな場面はないです。

普段やらない事を、
時間制限、発言制限付き、不安定な環境(疑い、処理、リアル)の下でやれと言われてできますか?
できませんね。


読書が趣味の人なら普段からやっているか?と言われるとそれも少し違います。

例えば小説を一冊読むとして、多くの方は一冊読み切ってから一通りの感想を述べるでしょう。
本の場合は、一冊と区切ってしまえば終わりが見えるので、読み切ってからというのは至極当然ですが。
読んでいく中で、適宜この登場人物は~ だとかは考えても、一節毎に感想(思考)以上を考える人は少ないかと。そういう事です。


普段やらないからできないのであれば、普段からやっていれば出来るようになります。
形成(言語化)の速度と質の向上にコツは無いです。

良くも悪くも数をこなせば、誰でもある程度は良くなります。
そもそも出力の経験値が足りないから議事読みが遅くなるわけで。


人狼的なやり方で言えば、

1.一つのログからテーマ(人や襲撃等)を決め、それについて書き出してみる。
また、この時時間を設けず、時間がかかっても良いので出力することを意識する。
(よって村外を推奨)
とにかく形成(言語化)を最優先するので、見栄えはあまり考えなくて良い。
箇条書きや殴り書きが連なってもよい。
※自分の参加したログはお薦め。その村内で気になった相手や、言語化し切れていない相手だとなお良し。

2.出力した物を、他者に見せる事を意識しつつまとめる。
体裁を意識するのは、一通り形として出せた段階のここでよい。
まとめ、繋げていくと、理解もしやすくなる。

3.誤字や脱字も含めて、それ以上の見直し。
1で出力した時や、2でまとめ始めた時と、まとめ終えた時では理解の深度も違う筈なので
それを踏まえた上でもう一度見直す。そうすると、新たに理解が進んだ分、無駄や余分、補足した方が良い場所などが見えてくる。


長々書きましたが、
①素材を用意→②組み合わせる→③必要なら細部等を微調整する。
流れ的にはこうです。

要は時間と喉を意識しないで、出力と修正作業を繰り返して、形成→理解を意識しつつ、
その感覚を掴めって事ですね。
初めは時間をかけても良いですが、慣れてきたら時間も意識してみましょう。

もしくは、毎日でなくともよいので、ブログやメモを使い形にする。
テーマは何でもよいです。考えやすい事を色々文字に書き起こしてみる。
とにかく出力に慣れる事の方が大事です。


1,2は分かるけど、3は何?
と思うかもしれませんが、3は理解に対する認識作業と言えます。

思考する。組み立わせる。ここまではイメージです。頭の中での話でしかありません。
組み合わせている段階で、完成後のイメージはあるかもしれませんが、
そのイメージと実際にできた物には違いがあります。
自覚は無いけど、言語化したら理解していたこともあります。

まとめた事と、それに伴う差異を視覚を使って確認するのが3の工程です。

イメージだけで済ませるのと、目視して認識する。
どちらの方がより理解が進むでしょうか? 間違いなく後者ですよね。

人間、イメージでもある程度は想像がつきますが、
やはり実際に見た物には敵わないのです。

自分の発言を理解していない方はここを疎かにしています。


確かに、議事読みの遅さの原因として、形成(言語化)慣れしていない部分は大きいですが、
どこまで読んだら理解に至るのかを理解していない。

これもかなりの割合を占めています。
理解できないから読み進める。けど、形成できないから理解できない。理解できないから…
で、一つ理解する頃には別の思考が山ほど。
自分のキャパシティ以上に読み進めるのも遅くなる要因です。

思考し、形成し、理解をした中身について
自分がどんな要素を拾い、そこから何を思い、どれと結びつけて、発展させて
その内容に至ったか。

自身の理解に対しての理解をする癖もつけましょう。
これも普段やらない方の方が多いはず。


ここまで、何を当たり前な事を…と思われるかもしれませんが、
思考→形成→理解をごっちゃに考えていたり、どれかを甘く捉えていたり、
丁寧にやってないから、議事を読んでパンクするという現象が起こるのです。

勿論、実践の中で鍛えるのも良いですが、
一番難しい本番を繰り返すより、制限のない練習をいくらか積み重ねた方が、
経験値としては後者の方がまず効果的です。
本番を繰り返すとできないループに陥る場合もあります。


ツイッターも一つの出力ツールとしては有用ですが、本当の意味で読みが甘くなる傾向にあり、
単発発言馬鹿に成りえるので、
ある程度形にできる媒介も活用した方がよいと思います。


まとめると、
・議事読みの速さは、読みよりも出力に由来する。
・議事読みは実践だけでは早くならない。
・読み→思考→形成(言語化)→理解 これを意識する。
・出来た物に対して、視覚での確認は理解への理解に繋がる。

以上です。

2019年2月9日土曜日

正義と悪 ~その1~

時に、正義と悪とはなんでしょうか。

正義=良い 悪=悪い
一般的にはこうでしょう。

ではその判断基準はどうでしょうか。
法律や道徳、倫理に基づいてある程度分けられてはいますが、
それ以外の部分は割と曖昧では無いでしょうか?


結論から述べると、正義や悪というのは思い込みです。

自分に都合が良ければ正義、都合が悪ければ悪

多数(他)が正義と評するなら正義、悪と評するなら悪

後者は集団心理と考えれば分かりやすいでしょう。
人間は自分を正当化させたがる生き物なので、
正当化させる理由として「正義」という概念は非常に都合の良い物です。

この行動は善良な行いで、自分は正しいし、悪に対して攻撃したって良い。
何故なら自分は正義であるから。

これだけでも結構な暴論かつ面倒ではあるのですが、ここに一つの名言(概念)を加えます。


「正義には倒すべき悪が必要」


自分が正義である以上、それに対する悪を作り出そうとするのですね。
既にいる悪を倒すのではなく、悪を作ってから倒そうとするのです。

手段と目的が逆転していますね。


例えば、誰かを庇った時、
庇った自分は正義となり、庇った先に何かをした相手は悪となるのですね。

庇った先は弱者で、その弱者に対して害を為す相手
という構図が自然と生まれ、
弱者を護る自分は良い存在で、弱者に害を為すのは悪い存在

ここまで出来上がってしまえば後は悪を攻撃するだけです。
庇うという大義名分を作り、攻撃する理由を生み、承認欲求と自尊心を満たす。

当然、その人を思って庇ったり、庇う先に何かをした相手が本当にどうしようもない事もありますが、
その一方で、自分の欲求を満たすだけの庇いもあるのが現実ではあります。



そもそも、判断基準が明確に存在しない正義と悪はどう決まるのか。

法律や道徳に判断基準がある程度はありますが、
それを踏まえて他者評価によるものと考えます。

行動が結果的にどのような影響を与え、
どんな印象を持たれたかにより決定されます。
そして、判断する側によって変わってきます。

ある国では正義ではあっても、他国から見たら悪だとか。

正義(悪)だから、この行動をする。ではないのですよね。
他者の評価で決定されるし、立場や思想によって変動する。
定義が曖昧である以上は当然ではあるのですが。


つまり、自分で決めるものでは無いのです。
自分で決定した物は、所詮どれだけ行こうが、
自分視点での正義、自分にとって都合の良い正義という肩書でしかないのです。

行きすぎた正義等評されることもありますが、
そもそも自分で「正義」など思い、定義した時点で既に間違っているのです。


正義、悪など色々書いていきましたが、
自分自身を正義だと意識し、定義付けて実行している場面はあまりないと思います。
どちらかというと、
「こんな出来事があったから、攻撃してよい理由ができた。よって攻撃しても良いし、それは正しい事である」
というのを、無意識に組み立て、実行している事が多いでしょう。


長くなりそうなので今回はここまで。

尚、この記事を読んでよくわからない。という方は
「思い込みって怖いですね」
「正義と悪は変動する物だから、自ら定義するものでは無い」
程度に思って頂ければ結構です。

2019年1月13日日曜日

【人狼観】有意義な反省。振り返り。【Part4】


今年もさっそく、幾つかの村が滅んでますが、
滅んだ村でこのような言葉をよく目にします。

「もう少し話していればよかったね」
「あの時言えていれば~ 考えられていれば~」

これらの言葉には信用性がありません。

第一、よく目にする時点で改善されていません。
何故、一向に改善されず、度々このような話題が挙がるのか。
理由としては、そんな単純な問題ではないからですね。


まず、エピローグや村終わりというのは、
時間、喉制限もなく、話せる環境が整っていて、精神的な負担も無い。
村内とは別の空間かつ環境なのですね。

そんな場でなら「話せていれば~」など幾らでも言えるのです。
村が終わった後で「こういう事が出来たよね」とはなりますが、
村内でこうすればよかった。にはならないのです。

平たく言えば社交辞令でしかありません。


さて、話を戻すと、今後に活かす為の反省とは何なのか。

例えば、会話不足が判断ミスの原因だと仮定しましょう。

まず、何故話せなかったのか。
そして話す為には何が必要なのか。
(そもそも話したところで何かが変わったのか)

会話の為の喉、自分の時間、相手の時間、タイミング、意識が向いていたか。
様々な要因がある訳で、
話す事が要素取りの切欠になったと仮定しても、
それ以前の時間や喉、意識の問題がありますよね。

「考えれば~」とは言いますが、
その考えるきっかけと、考える時間と、考えた事を発言する時間と喉は何処から持ってくるのでしょうか?
そもそも考える以前に、上記の何が足りなかったかを突き止めるのがまず先なのですよね。
話す為の環境をまず作りましょう。

(それが足りてないから話す、考える、言う。という発想に至らなかったんだろ。と言いたくなります)


要は、人狼において、安易に「もう少し話せていれば~」等言ってはいけません。

根本的な解決にはなりませんからね。
話す為、考える為には何が必要なのかをまずはよく考えてください。
可能性の無い事に対して、「できていれば~」は無意味な反省です。



1つ、実体験も含めて例を挙げます。
以前、初日から覚えていた違和感を要素に昇華できずに、LWを取り逃したという経験があります。

この問題の解決方法として一つ挙げられるのは、
違和感を見逃さない。大事にする事。

これだとただの感想にしかなりません。

次に、違和感を言語化できるようにしておく。
これは、答えが分かった後で、答えが分からない時に特に気になった部分をピックアップして
過程を結論と繋げる事である程度は解決します。

しかしまだ不十分で、多くの方は良くてここで満足するのではないでしょうか。

本題はここからです。


次に考えるべきは、それを実践投入できるか否かです。

この違和感はこういう理由で狼要素だ。
この傾向には注意を働かせるべきだ。

新たな判断方法を手に入れても使えなければ意味がありません。
また、習得した結果、別のスキルを失ってはいけません。

喉や時間を余しているならその限りでは無いですが、
多くの失敗というのは、限られた資源を有効活用できないから起こるものです。

新たに身に着けた事を実践で使おうと思ったら、その分の時間と喉が必要ですよね。
では、必要になった分の資源は何処から持ってくるのでしょうか?
同じ運用をするなら結局資源は足りなくなりますよね。

前回より喉制限と時間に余裕のある村に入る。
という選択肢もありますが、ここでは同じ条件(同量の喉と時間)で考えます。

つまり、直接的な失敗とは別に見直すべき点と改善すべき点を探します。


一番分かりやすいのは、時間や喉の使い方。

例えば、この人の要素は別に出さなくても処理には直結しなかった。
他者の意見で事足りたな。と感じる部分は削る事が出来ますし、
結果を見た上で、この発言はもう少しコンパクトかつ分かりやすく伝えられただろうと思ったのなら、その発言を修正して見るのも良いですし。

発言の取捨選択で考えた時、
村陣営であるなら、基本的に優先すべきは、狼要素>>村要素の提示なので
優先順位自体はつけやすい。

単純に喉管理が下手なら、まずはペース配分から考える必要もありますからね。


まとめると、
Q.初日から覚えていた違和感を要素に昇華できずに、LWを取り逃した
という問題に対しての対応策として

①初日の違和感を重要視する(得た事を活かす為の認識)
②違和感を言語化し、言葉や理屈として把握しておく(直接的な対応策)
③発言の取捨選択(優先度の決定、時間と喉の有効活用)
④発言のブラッシュアップ(喉節約・喉管理)
⑤言語化速度の改善(地力向上)

これだけの事を考える余地があるのです。

③と④は、見落としがちな、直接的では無いけど、
問題に大きくかかわりがちな反省点と言えるでしょう。
①と②という対応を実践する為の③と④


新しい物を取り入れた所で、資源の使い方が変わらないのであれば
結局それは次には繋げられないし、取り入れた代わりに別の何かが抜け落ちて、
その抜け落ちた物がミスを誘発し、それに対処するには~
と無限ループに陥ります。


解決すべき問題(直接的な要因)と、
それを扱える環境整備(間接的な要因)
この二つが揃って初めて次回に活きる反省となるのです。

大概は、解決すべき問題(話していれば~)
にだけ目を向け、どうやれば話す事が出来たか、その状況に持って行けたか、考える余地を持てたか等、それに至るまでの道筋を考えずに反省としている節があります。

そりゃ、同じ間違いを繰り返しますし、進歩が無いわけです。







2018年12月30日日曜日

【人狼観】経験や知識による束縛【Part3】


以前、村においては、議事にある情報以上に優先するべきものはない

と言及しました。
そしてそれが出来ていないプレイヤーは非常に多い。

その原因を少し考えてみました。


目前の議事を元に、経験や知識と照らし合わせていく。
これが正常な判断思考。

経験を元に、目前の議事を捉えていく。
これが間違った判断思考。

一見異常が無いように思えますが、度が過ぎると、正常な判断が出来なくなります。


少し分かりやすくすると、

今(目前)を軸に、過去(経験)を参考材料として思考するか、
過去(経験)を土台に、今(目前)を捉えるか

こういう分け方になります。

後者の何が問題か。
経験により、土台ができていると言えば聞こえが良いですが、
土台が出来上がった後に、大きな変化は生まれない。

これは、土地、組織、人格構成etc…様々な事にも言えますよね。
形を決定付けるから土台なのです。

人狼においては、非常に致命的です。
新しい物を受け入れ辛くなり、勝手に上限を定め、
結論先行の考え方になっていく。

視野が著しく狭まり、思考停止、パターン化を生み出します。
一定の状況にしか対処できない、考えられない。

あらゆる場面に対応できるだけの経験があるならその限りでは無いですが、
そんな人は居ませんし、長期人狼の特性上、パターンは存在しません。

何より、経験というものは一生積み重ねていく物で、完成する事はありません。
変化と進化をし続ける物なので、どうやっても土台という一つの完成品にはなり得ない。

経験を一つの完成品だと思い込み、それを結論とし、主軸に考えると、
本来、成長する為の要因である知識や経験に縛られる事になります。

完成や結論に、それ以上は存在しませんから。

経験や知識を活かすのであれば、
経験と知識は、絶えず変化していくもので、ここまで積めば大丈夫など存在しない
と覚えておきましょう。

上記は、経験や知識に対しての向き合い方。



では、経験や知識が先行すると、どのような問題が発生するのか。
大きなものとしては、類似物を同一だと誤認しがちになります。

当たり前ですが、類似と同一は別物です。
ですが、そう錯覚してしまうケースがよくあります。

例えば、過去に同じような物を見たことがあり、それが90%位一緒だったとして、
それを真新しい視点で考えられますか? 1から精査しようと思いますか?
多くの場合、過去の情報や知識を元に結論付け、残りの10%を誤差程度に捉えるでしょう。
それ以前に、似ているので補正がかかり、10%位なら見落とすかもしれません。

ですが、たかが10%でしょうか?
ニュースで、キノコ狩りに行った人が毒キノコを食してしまうといった内容の報道がたまに流れます。
あれは、大きさや形や色が一緒で、模様だけ若干違うと言った、注意しないと分からないレベルのキノコを収獲してしまったが故に発生する事態です。
食用の物と見た目が似ている=食べられるとは限りませんよね。

そもそもここで言う90%同一というのは、結論の事を差してはいません。
あくまで判断材料が90%同一なだけです。


一つ重要な視点として、判断材料が1%でも違えば、それに伴う結論も違う可能性がある 

例えば、人狼で過去遭遇した灰A(狼)と、ほぼ似たような動きの今村にいる灰B
これが違う人間で、性格や戦術論と言った部分に差異があるのなら、
灰Aが狼でそれと同じような感じだから、灰Bも狼と結論付けるのは早計ではないでしょうか?

大半の一致のみに意識を向け、少しの誤差を突き詰めない。
それこそ最大の情報であるにも関わらず。

「過去こういう狼(村)を見たから、今回もそうだろう」は、今を見ていないし、考えていないのです。

より広義的に考えるのであれば、
全く同じ場面や状況(面子や発言、役職や能力処理、襲撃)が存在する事はまずありえないので、
判断材料が似ているからと言って、結論に結びつけるのは非常に危険な行為ですね。

第一、似ているだけで同じではないので、まず結論に繋げること自体が間違いなのですが。

結論を考える上で、類似した判断材料というのは非常に参考になります。
ですが、参考になるだけです。推理の補助にはなりますが、結論にはなりません。

推理が楽になるケースはありますが、効率的に進められる程度なので
思考停止する理由は何処にもありませんね。


もう一つ重要な視点、経験には結論があり、目前には結論が存在しない
これを挙げます。

人間は楽をしたがり、都合の良い風に考える生き物です。
同じような場面や物や人に遭遇した場合、結論の無い目前より、結論のある過去に引っ張られます。

「これだけ似ているなら同じだな」と。

振り返る前に、判断材料の類似性(同一性)と、過去の結論の存在から、
経験の結論と目前の結論を同一視してしまうのです。
こうなってしまうと、既に結論が出ている物に対して、労力を割こうとは思わないのでそこで終わります。

経験先行とは、結論先行であり、
推理において結論が先行して来る場合は、目前より、経験が優先されている事が多々あります。
結果、推理を外す場合は、文字通り目前の情報を見落としているのですね。


この、経験先行により、過去の類似を同一と錯覚し、現状を見直さず、そのまま結論に結びつける。

分かりやすい言葉があると思いませんか?

そう、先入観です。思い込みですね。


経験に対する間違った認識は、先入観を生み出す。
先入観は思考や視野を固定化させ、推理をしなくなる。

経験は何も、実際に体験した事だけではなく、自己投影も含みます
自分自身という積み重ねは経験の一種です。
要するに、「自分狼ならこれはやり辛いから、この人は村だろう」というのも経験が先行している考え方です。


厄介な事に、先入観というのは無意識的に発生しています。
そこに対して慣れれば慣れる程、罠に陥ります。

その村の議事を読んでから、経験からの過去を振り返っているように見えて、
実は、経験という前提があった上で、議事を読んでいる。
皆さんは、本当に議事を読んでから経験や知識を扱っていますか?
経験や知識を、完成されたものだと思い込み、それありきで考え、土台にしていませんか?

順番が違うだけで全く別の考え方になってしまいます。

毒キノコの例がありましたが、経験や知識が先行するとかえって邪魔な事もよくあります。
これが初めて見るキノコであれば、ちゃんと調べていたでしょうし。
(ただ、このケースはキノコに対しての知識を正しく把握していなかったという別問題もあり、これもまた人狼に関わってくる)



まとめると、
・類似=同一ではない。人狼に過去と同一の判断材料など存在しない。
・同一でない以上、結論が違う可能性があるので、思考停止する理由は無い。
・経験や知識は、どこまでいっても参考にしかならず、推理や結論そのものにはなり得ない。
・今(議事)→過去(経験)であり、今(議事)>過去(経験)である。


まあ、目前の事象を優先するようにしても、
結局経験や知識という材料をきちんと揃えておかなければ推理精度は向上しないのですが、

大半の誤った推理、村人が陥りがちな状態として、
経験や知識に縛られる。それによる先入観。が挙げられるものまた事実です。

気が向いたら続きを書いていきます。

2018年12月6日木曜日

【過去日記】村人の目的(追記版)【Re】

(2016.8/3 人狼SNSより再掲・追記)
※第三陣営が居ない想定です。居る場合でも通りますが。

村陣営の目的は何かと言われたら、
狼を吊り切る事ですね。

見つけることではなく、吊る事です。
狼を直接探しても良し、村人を見つけ出して炙り出すも良し。
とにかくどんな手段を使っても吊り切る事が目的となります。


正直な話、見つけるだけなら見学席で良い訳です。
地上に参加している以上は、吊る事が目的となりますし、
見つけるだけならそこまで難しくないですからね。
(最悪当てずっぽうでもアタリはアタリ) 問題は、どうやって吊るか。です。

後まあ、見つけた。だけならエピローグ時に何とでもいえますし。


逆に言えば、吊りを実行させないようにする。
というのは戦略として非常に有効ですよね。特に狼時。


自分より吊れる人を見つける。
疑っている相手の発言力を削ぐ。
自分を庇ってくれる相手の発言力を上げる。

恐らく例を挙げればキリがないのでしょうが、
パッと思いつき、かつ実行できそうのはこの辺りでしょうか。


追記(本編)

狼を見つけるならそこまで難しくないと言いましたが、
最近の村陣営の推理力では難しくなっているのかなとも思ったりします。
ただ、それ以上に、狼を吊れる村陣営の割合は減っていると思います。

もう一度言いますが、村陣営は「狼を全て吊り切れば勝ち」なのです。
裏を返せば、 「吊れなきゃ負け」です。
何を当たり前な。と思われるかもしれませんが、これを理解・実行できずに滅んだ村は沢山あるのではないでしょうか?
正解を当てるだけで良いのなら、人外は偽黒なんて出せませんし、真占は黒を引いたら無条件に吊れますよね?

事実(正解)が必ずしもその村で正しいとは限らないので、
事実(正解)を正しいと思わせる能力も必要になる訳です。


所謂発言力が弱い方、それに悩んでいる方というのは、
その多くが上記の意識が欠如している節が見られます。

単純に視野が狭いのです。
言い換えれば、自分の事だけで一杯一杯とも言いますか。

狼を見つける。正解を見つけるだけなら自分一人で成立します。
しかし村から見て正しい物にはなっていない。
狼を吊りたいなら、村から見てそれが正しい物でないといけないのです。


誰かを吊るという行為は、自分一人では実行できません。
必ず自分以外の誰かが必要になります。
つまり、少なからず他者への干渉が必要です。それが世論と相反する物なら特に。

他者に対しての干渉が必要になる以上、
相手に伝わる言葉や説明に置き換える。話を聞いてもらえそうな相手に自ら話を振りにいく、
他者に意見を求めにいく。
嫌でも意識は外向き、自分以外にも目を向ける。自ずと発言や議事の読み方も変わってきますね?


壁に向かって喋りかけたり、
ツイッターの如く自分用のメモを連発したり、
ちょっと格好つけてみたり、

そんなことをしているから、
意見は聴いてもらえず、村から弾かれ、狼からSGにされるのです。自業自得。


相手を説得できるかどうか、場が動くかは推理の質も関わってきますが、
そもそも狼を吊るつもりがあるかを今一度考えてみるのも良いでしょう。

推理力が全くないのに、声だけ無駄にでかいのも村からしてみれば邪魔なのですが…。
(そういう輩には議事を読めとだけ言っておきます)


ここまで村視点で考えてきましたが、狼視点でもこの考えは通用しますね。
狼の勝利条件は何でしょうか?

そう、 「誰か一人でも吊られずに生き残る事」です。

見つからない事では無いのですよね。
見つからないというのは、吊られない為の手段であって、目的ではありません。
当然、見つからない方が良いですが、見つからなくても吊られることはあります。
吊りに繋がる捕捉は避けるべきですが(意見が通る灰や、真占いからの判定)
捕捉されても大丈夫な場面は結構あります。

強い狼というのは、見つからない狼ではなく、吊られない盤面を作れる狼です。
可能なら、吊られない盤面を作った方が勝てますから。
(見つからない=吊られないではないが、吊られない=吊られない)

すぐ見つかる狼は必ずしも弱いとは言えません。
例えば、見つかる事で仲間を吊りにくくなるのであれば、それは勝利に大きく近づく事になります。
仲間をそういう風に利用できる狼も強いですね。
逆に、見つからないけど、吊りにくくはない。みたいな方が微妙です。


吊られない意識が滲み出すぎると、村からバレバレなので注意が必要ですが、
狼側も勝利条件を再認識した方が良いでしょう。
村陣営に「見つける事」までしか意識が無い面子の割合が多いうちは勝ちやすいので。


余談ですが、本戦終わった後に「やっぱ○○狼じゃん」というのは、
負け惜しみというか惨め以外の何物でもないので、
そんな事を口にする位なら、自分には何が足りなかったかを考える方が遥かに有益ですね。
見つけられなかったよりも、見つけたのに吊れなかった。の方が事態としては深刻なのです。

2018年11月27日火曜日

【人狼観】長期人狼に対しての認識【Part2】

最近の人狼PLの弱体化についてですが、(昔が強かった訳ではない)
目立つのは議事を読めなくなった。考えられなくなった。理解力が著しく落ちたことにあると思います。発信以前に拾いが弱いのです。

これには幾つか原因があると思いますが、一つは長期人狼に対しての認識の変化だと思います。

【過去日記】小喉は人を弱くする【Re】 でも少し触れましたが、
リアルへの配慮や小喉専用のサーバーやシステムが確立されたこともあって、
小喉の村が増えてきました。

同時に、長期人狼そのものに対して時間をかけるという考えが薄まってきている。
と考えます。
忙しい人の為の小喉ではなく、労力をかけない為の小喉に成り下がっているという訳ですね。
それが結果的に、長期人狼に時間をかけない要因になっている。
根底として、時間を最大限に活用するか、そもそも時間をかけたくないかで全く変わって来るのです。
後者は質を低下させる要因となり得ます。

時間をかけないので、議事を読まなくなる。
議事を読まないので、得る物も弱くなる(【過去日記】議事を読む【Re】を参照)
考える時間も減る上に、得ている物の質が低いのでまともな発信をしなくなる

初めの段階で既に終わっているのですよね。


そもそもの話をしますが、長期人狼というのは時間と労力がかかるものであり、かけるものです
日数だけではなく、時間を含めて。
敷居が下がるのは良い事ですが、PLの質を下げてはいけませんよね。

時間をかければ良いとは限りませんが、時間という点を妥協する意味はなんでしょうか?
時間が無かったから上手くいかなかった。と予防線を張りたいのでしょうか?
これは自分の意思で参加している以上言い訳でしかありません。


かけられる時間と労力をかけてないので、そりゃいつまでたっても上達しない訳です。

はっきり言うと、リアルにゆとりがある上で、1日1,2時間程の参加を1週間続ける位なら、初めから短期やらワンナイトで良いのでは? と思ってしまいます。

なので、時間に余裕があって、向上心があるなら、普通に標準以上(800p)の村に参加して時間をかけましょう。となります。


小喉が駄目という訳ではなく、
小喉は、人狼に対して手を抜く理由にならず、妥協する為に存在する訳でもない。

それが重要な事です。

人様のやり方にケチをつけるつもりはありませんが、
楽しむ為に参加するのではなく、参加する為に参加する。(回数だけを重ねる)
参加が義務になってしまっては、遊びとしては本末転倒なのではないでしょうか?

2018年11月24日土曜日

【過去日記】小喉は人を弱くする【Re】

(2018.11/6 人狼SNSより再掲)

※ここで言う「小喉」は800pt未満の村とします。
また、ガチ推理村を想定しています。


最近、小喉の村をよく見かけるようになりました。
リアルに配慮したり、800以上の村だと議事に溺れる人の為だとか色んな理由があるでしょう。

人狼の最大の敵はリアルなので、そこへの対策としては意味のあるシステムだと思います。


が、今回は少し突っ込みたいと思います。


小喉、つまり村全体の最大発言数が減る事によるポイントは何でしょうか?
そう、議事量が減る事です。

また、300,400程度しか喋れなくても寡黙と言われることもありませんね。


ですが、議事の量が減り、読みやすくなったからと言って、読解力が上がるとは限りませんし、
800が500や600になったとして、発言の精度が上がる訳でもありません。

議事量が減ったから読みやすくなり、推理や考察が捗る。
それは視覚的にそう見えるだけで、実際はただの錯覚です。


では、小喉だとどのような問題があるか。

単純に他者とのやりとりが減り、お互いに一方通行になりがちです。
意見のすり合わせがし辛くなるので、齟齬や摩擦等が解消し辛い。

また、一発言に詰め込むようになりますね。発言濃度が上がるというよりは詰め込むようになります。
意見を伝えるより、発言内に収める(言葉を簡略化する)に意識が向きがちです。

これは特に、「喉が足りない」となった事がある方には当て嵌まるかと。


後は、読みやすい(と思い込んでいるが)故に、取り方と取らせ方が甘くなる。でしょうか。
心理的に、読まれて当然になりがちなので、
発言者側は喋る(収める)>伝えるに傾き、
読み手は拾う事を吟味せず、全て読もうとします。(理解しているかは別)

悪く言えば、お互い送受信に気を使わなくなりますね。
人狼でよくある根本的な勘違いを招きます。
(自分の発言は全て読まれている、理解されていると思い込み、自分は議事を理解し、読めていると思い込む)

総じて、要素を取れる場面の減少と、
落ちている物の質の低下を招きます。


昨今、PL全体的に、議事を読む能力も、他者に拾わせる能力も、コミュ力も落ちていますが、
これは小喉化も関わっていると考えます。

勿論、リアルに配慮したり、村自体にコンセプトがそれぞれあるでしょうから、小喉自体を否定するつもりはありません。
それを逆手に取った村もありますし。

ですが、時間がそれなりに取れて、普通量喋れて、少しでも推理面を向上させたいなら、標準的な(800pt以上の)村に入った方が有意義ではあります。

小喉で窮屈感を覚えた事のある方は特に。


追記
本来の小喉のコンセプトと、今の人狼PLの考え方がすれ違っている風には思えます。
忙しい人が全力で楽しむという形ではなくなっているのではないでしょうか。

議事読みの本質は"読み"に非ず

人狼PLなら誰しもが行う議事読み(ログ読み) 狼の補足、状況の把握、村の相関図、投票経緯等々様々な物が見えてきますね。 そんな中で、議事読みが遅い。と耳にする事は度々ありますが、 何故議事を読むのかが遅いか、または遅くなるのでしょうか? タイトルでもありますが、読む...